#箱の中

しあわせになるために生きてます。とりあえず来年は海外に旅に出ます。

生きてるだけで大変エライので、それ以上頑張らなくていいですよ。

 

頑張ることってほんとに必要なことなのかな?

成功するためには、お金持ちになるためには、幸せになるためには努力が必要で、楽しんだり遊んでるだけじゃダメだ!みたいな考え方が一般的だけれど、ほんとにそうなのかな。

わたしは違うと思う。

楽しんで、楽してるだけでお金持ちになったり幸せになることもきっと可能なはずなのだ。

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「幸せになるために努力は必要ないのでは?」という旨の話を人にすると、大抵、人はそんなのは不可能だという。

例えばわたしが「大好きなことを仕事にすればいいのでは?」というと「大好きなことを仕事にしても絶対に嫌になるときがくる。大好きなことを辛いことに変えたくないから仕事にはしたくない」などという。

 

なぜ、嫌になると断定できるのか?

やったこともないのに。 

 

人は言い訳を見つけるのが得意だ。

できない理由をどこからでも見つけることができる。

 

可能性を信じることが苦手だ。

多くの人は明るすぎる光に怖気づく。

傷つくくらいなら鈍い光で溢れるぬるま湯に浸かっているほうが楽だという。

 

もちろんそれでもいいのだと思う。

だけどわたしはそれを選択しない。

わたしは光に手を伸ばすことを選ぶ。

苦しまず血の滲むような努力もせず、楽しく軽やかに明るく幸せに満ちた未来を掴み取ることを諦めない。

 

なんの決意表明だ?という感じだけれど、なんだか書きたくなったので書いてみたよ。

 

血界戦線にこんな言葉がある。

「光に向かって一歩でも進もうとしている限り、人間の魂が真に敗北することなど断じてない」

 

希望を手放さない限り、人は生きていけるんだと思うのです。

「相手の考えてることが分からない」っていう人の気持ちが分からない

人はよく人間関係で悩む。

その原因は相手のほんとの気持ちがわからないからってことが多い。

嘘と建前みたいなものに惑わされる。

だけどそれは言葉しかみてないせいだ。表面的なものしかみてないから混乱してしまうのです。

 

みんな、言葉に重きを置きすぎている。

言葉の意味なんて人それぞれ無限にあって、だから同じ言葉を使ってるようで、ほんとは相手と全然違う感覚だったりするし、そういうことってよくある。

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あと自分のフィルターが曇っていると、相手のことがちゃんと見えない。

だから理解できない。

「絶対にこうだ」とか「これが当たり前」とか「こう思ってるにちがいない」という常識、期待、偏った思い込みをみんな自分のフィルターにベタベタ塗りつけてる。

なのに、塗りたくったこと自体を忘れてしまう。おばかさん

 

結局人は、自分のフィルター越しにしか世界を見ることはできない。

たとえば目の前の人が赤色でも、もしその人のフィルターが青で塗られてたら、彼女(彼)にはその人が紫色にみえてしまう。

 

だから、大事なのはいつも自分のフィルターをきれいに磨いて、できるかぎり透明に近づけておくことだ。

 

相手の言葉だけじゃなくて、五感全部で感じる。エネルギーで感じる。皮膚で感じる。

 

そうすれば、分からないがなくなる。

 

愛をもって見つめる。

そうすれば目の前の相手を理解することができる。 

無駄なことを楽しむって無意味なようで、ほんとはちゃんと意味がある

多くの人は無駄をきらう。

なんの役にも立たないこととか、意味がないこと、お金にならないこと、そういう生産性のない行為をする意味(価値)なんかない、と思ってる人って結構多いとおもう。

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わたしも昔はそのひとりだった。

「時間を無駄にしてしまった」とよく思ってた気がする。

たとえば、長時間寝るのってもったいないないと思ってた。何もしないでゴロゴロしてるのとか苦手だったし、ゲームとかも時間の無駄だと思ってた。

 

でもあるとき気づいたんだよね。

そうやって「時間を有意義に使おう!」「意味のないことをしたくない」とか思って意識高い系なかんじで生きてると、人生あんまり楽しくないってことに。

 

何をするにも意味を求めてしまうから、たとえば友だちに「◯◯しようよ!」とか言われても、え?それやる意味あんの?とか思っちゃうし、なにか意味(価値)を見出せないと「やるのだり〜」ってなっちゃう。

その考え方だと行動がすごい制限されるし、つまんない人間になるし、なにより自分が全然楽しくない。

 

だから、そういうふうに考えるのやめまちた。   

「意味のないことをしたくない」

「有意義に時間を使いたい」

から、

「意味のないことをしよう」

「時間を無駄遣いしまくろう」

に変えた。

時間を有意義に使うことでも、意味(価値)のあることをすることでもなく、“ただ自分が楽しいと思う” ことを一番に考えることにしてみたのね。

 

そうした結果どうなったかというと、

人生が豊かになった、気がする。うん。

 

前はもっと、せかせかイライラした人間だったけど、そうやって

「無駄でも楽しかったらOK」「将来につながらなくてもやりたかったらやる」「意味なくても楽しかったらOK」

と思うように変えてからは、力の抜けたぽよーんとした人間になった。

それがいいのか悪いのかは分からんけども、まあわたしは気に入ってるからよし。

 

タイムイズマネーとか時間はお金では買えないとか、そういう自己啓発本に踊らされちゃいけない。

ほんとに大事なのは「自分がいちばん何を求めてるのか」をちゃんと見つめること。

 

そうやって考えてみたとき、わたしの場合は自分がほんとに求めてるものは

「ただ楽しくて幸せであること」

それだけであってそれに意味とか価値とかそんなものは別に必要ないんだった、てことを思い出した。それがいちばん大事なことだったのにすっかり忘れてた。

楽しかったらOKだし、幸せだったらOKなのです。

 

なんかそういえばこういう話、モモにあったなあ。久しぶりに読みたくなってきた。

 

人から見れば無駄なことでも、本人がすごい楽しんでやってれば、もはやそれは無駄なことではないし、逆に最高に有意義に時間を使ってることになるのです。

 

こんなの無駄だ!と世間一般では言われてることをいかに大切にするか、楽しむかっていうのが、人生をより豊かにするコツだよ。

幸せになりたいなら、わがままに生きるしかない。

わたしにとっての理想の自分というのは、わがままで素直で常に正直であることだ。

わたしは優しい人や、できた人間を目指しているわけではなくって、ただ幸せでハッピーな人間を目指しているのです。

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優しい人が幸せとは限らない。
いつも親切でみんなに感謝されていても、ほんとは心の中じゃ、度重なる自己犠牲に疲れきっているかもしれない。

 

みんなに頼りにされ慕われていたって、幸せとは限らない。
当の本人は誰にも頼れなくて、周りからの期待に押し潰されそうになっているのかもしれない。

 

周りからみて幸せそうな人が、ほんとに幸せなことってあんまりないんじゃないのかな。

自分軸ではなく、他人軸で生きてると幸せになるのってほぼ不可能だと思う。

 

だからこそ、わたしは自分を常に優先できる人間になりたい。


人にウソをついたとしても、自分にはウソをつきたくない。

誰かを傷つけてしまうことになったとしても、自分を傷つけない選択をしたい。

 

そういう人間を世間では、わがままだとか傲慢だとかいう。


だけど自分を傷めつけて我慢ばっかりして、ちっとも幸せそうにみえない大人たちの言うことが本当に正しいのだろうか。

わたしはそうは思わない。

そもそも自分が幸せじゃないのに、だれかを幸せにすることなんて不可能だと思う。
ぱっと見うまく成り立っているように見えても、どこかに歪みが生じているはずだ。

 

だれかの犠牲で成り立つ幸せなんて、それはもう幸せとは呼べないよ。

自分のこと特別だと思ってる人ウザい。

「考え方が変わってるんだよね」とか「人とは違うからさ」とか言う人いるけどあれウザくないですか。厨二病なの?

 

しかも、だいたいそういうこと言ってる割に話してる内容は普通だったりするからね。

べつに自分のことを特別だと思うことが悪いことだとは思ってなくて。わたしも自分のこと特別だと思ってるし。

そうじゃなくて、「自分は特別で、自分以外の人間は特別ではない」という意識を持ってる人がいやなのだ。

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わたしはみんな特別だと思うのですよ。

そうじゃない人なんていないと思う。

そのリスペクトがなくなってしまうと、ほんとただの嫌なヤツになってしまうんだなあと最近再確認する出来事があったのでこんな記事を書いてみた。

 

マイノリティの生きづらさみたいなものはやっぱりあるし、孤独感も人一倍強いっていうのはよくわかる。

だけどそれでひねくれちゃって拗らせちゃうと、ほんともう救いがなくなってしまって誰も何も言ってくれなくなる。

それはとても悲しいなあと思う。

 

理由もないのにツラくてしかたない

そういうときってある。

「理由?そんなの聞かれてもないよ」

ってタイプのつらさ。

 

胸がググッと閉まって、悲しくて不安な気持ち。寂しさに近い気がする。

でもちょっと違う。

身体のどこかにポッカリ穴が開いてるみたいなそんなかんじ。

なにが原因、というわけでもなくただ悲しくてしかたない。

いつも、そういうときは逆らうことなく感情にまかせて波が去るのをジッと待つことにしてる。

だけど波が去っても小さな波はちょこちょこやってくる。海みたいに。絶対になくなることはない。

ちょっと嫌だなあと思う。

 

だけど例え病院とかにいってみても、PMSだ!とか、ホルモンバランスの乱れだ!とかいって片付けられてしまうのだろうなあ(それか精神病)。ぽいぽいって薬を出されて終わり。

 

でもわたしはそれはちょっと違う気がしてる。

だってそれって全然根本的に解決してないし、そもそも病気でもないと思う。

そして悲しいのやつらいのが当たり前だみたいなことを言う人達がいるけれど、それも違うと思う。

 

いつもしあわせな状態でいることはきっと可能で。人の本来あるべき姿はきっとそれだ。

 

そしてわたしの中に昔からあり続けるこの苦しみは、「生きるのは苦行だ」というメッセージでも、一生背負っていく十字架でもなくて、きっと使命なのだとおもう。

使命だなんていうと少し仰々しいけれど、苦しみがあるから努力できることってある。苦しいからなんとかして抜け出そうとするし必死に解決策を見つけだそうとする。

 

そして、わたしはそれを見つけられる。という気がしてる。なんとなく。謎の自信だけど。笑

 

それによってわたしはまず自分が救われて、そして今度は同じ想いをしている多くの人を救うことができる。

そうなったらなんと素晴らしいことでしょう。たのしみだあ

 

 

自分に自信はあるけど自己肯定感が低い人多くない?自己肯定感の高め方とは。

自分に自信があるって人はそこそこいるけど、“自己肯定感が高い人”って少なくないですか?

ここでいう“自己肯定感が高い”っていうのは「自分大好き愛してる!」って状態のことなんだけど。

自分に自信ありますか?という質問に対してYESと答えられても、じゃあ自分のこと好きですか?凄いと思いますか?という質問をすると「むむっ」てなっちゃう人結構多いと思うんだよね。

 

せっかくの自信だけど、肝心の土台がマイナスだと意味がない。

自分に自信がないから頑張ってきた人って、とても不安定。

 

どんなに周りから評価されて自信がついたところで、それは

「◯◯できるから自分には価値がある」

という自信だ。

 

だけど残念ながらそれはひっくり返すと

「◯◯できない自分には価値がない」

という自信でもある、ということ。

 

自分で努力して掴み取った自信というのは確かに素晴らしい。

だけどせっかくの自信も、肝心の土台がマイナスだと台無しだ。

それだけじゃ、心の底から100%しあわせにはなれない。

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“作り上げた自分”、“努力してきた自分”に自信はあるけれど、“ありのままの自分”には自信がない。

 

昔のわたしがまさにそれだった。

自分に自信はあるけれど、自分に価値があるとは思えてなかった。

「価値がないからそのぶん頑張らないと」

そんな気持ちだったんだと思う。

 

だけど、想いに反して頑張れば頑張るほど虚しくなっていった。

みんなの中の「わたし」とわたしの知ってる「わたし」がどんどん離れていくのを感じた。

なにが楽しくて、なにが悲しいのか。

ほんとはなにがしたいのか。

どんどん分からなくなっていった。

わたしはわたしを見失っていた。

 

周りにどんな評価されても、必要とされても、心は満たされなかった。渇ききってた。

「それはほんとのわたしじゃない」どこかでそう思ってる自分がいた。

 

周りからの評価も自信も、わたしの自己肯定感を高めてはくれなかった。

 

一体どうすれば自己肯定感は高まるのか?

色々考えてそれからしばらくして気づいたのだけれど、

自己肯定感を高めるいちばんいい方法は、

ずばり「なにもしないこと」だ。

 

は?って感じかもしれないけどこれマジ。

「力を抜く」とか「もっとダメになる」という言葉でもいいのだけれど、つまりは今まで頑張ってたことを全部やめるってこと。

 

  • ホントの自分より大きく見せようとしてたのをやめる。
  • 嫌われないように必死に隠していたことをやめる。
  • 好かれようとして何かしてあげていたことをやめる。

 

むしろホントの自分以上にダメになってもいい。ほんとはできることもやらなくていい。

いっかい徹底的にダメ人間になってみる。

 

「自信をつけるためには、小さな成功体験をコツコツ積んでいくしかない」みたいな話があるけど、

自己肯定感を高めるには、

「ダメな(何もできない)自分を、誰かに認めてもらったり、受け入れてもらう」

というという成功体験をちょっとずつ積んでいく必要があるのです。

 

自己肯定感が低い人というのは、小さい頃にあまりそういう経験(ダメな自分を受け入れてもらう)をしてこなかった人達が多いはず。

特に親から。

毒親とまではいなくても、すごい厳しかったり、過保護すぎたり、コントロール型だったり、条件付きの愛しか知らずに大人になってしまった人は、自分でも気づかぬうちに“頑張りすぎちゃう人間”になってしまうんだとおもう。

それで生きづらくなる。

「生きづらいからもっと頑張ろう」と思って頑張っちゃうと悲劇がはじまる。

どんどん自分の首を締めてくことになる。

 

必要なのは足し算じゃなくて引き算。

頑張ることじゃなくて頑張らないこと。

できるようになるんじゃなくて、できないようになってみる。