#箱の中

しあわせになるために生きてます。とりあえず来年は海外に旅に出ます。

人に分かりやすく説明しようとするの、やめます。

わたしの話って少し分かりにくいと思う。

感覚的というか抽象的で、雰囲気で分かってもらうしかないみたいなとこがある。ニュアンスを大事にするタイプ。

なので相性が悪いと、ほんと意味が分からないことになる。

だからわたしの話が伝わるか否かは相手の理解力にとても左右される。

「こいつ何言ってんの?」みたいな顔されたり、頭の周りに“?”マークとんでるのが見えるくらい困惑されたり。

必死に分かろうとしてくれて「もっと詳しく説明して」とか「情報が少なすぎる」なんて言ってくる人もいるけど、こちらとしてはこれ以上説明しようがない!という感じなのである。

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昔は殻に閉じこもっていて、言っても分かってくれないから、と自分の思ってること考えてることを話したりしなかった。

そのせいで、わたしは人に伝える能力があんまり発達してないのでは?と思ってた。

 

そんな言葉足らずな自分がずっと嫌だった。

もっと理論だてて分かりやすく、相手に思ってることを伝えられるようになりたかった。

そういう人に出会うたび羨ましくて憧れた。

 

でも、そう思うのやめることにしました!

「べつにこのままでもいいや」と最近は思ってる。そう思った理由は2つあって、ひとつは

“分かりにくい”ということがフィルターとなって自分に合う人だけが寄ってくるから。

抽象的で感覚的な話を理解できる人、というのは言い換えれば「わたしと価値観や考え方が似てる」ってこと。

自分と同じ要素を持っているから理解できるわけで。

だからわたしが言ってることを理解できない人というのは、価値観や考えが全く違うということ。

そんな人と合うはずがない。

ということは、そもそも「わたしが努力して分かってもらう必要ないじゃん!」ということに気づいてしまった。

そんなことして理解してもらっても、そんなの結局どこかでダメになってしまう気がする。

だってそもそも合ってないんだからね。

無理して合わせてもいいことなんてない。

 

そしてもうひとつの理由は、“わたしの世界の主人公は自分だ”と決めたからだ。

相手に理解してもらうために自分を変えるというのは、相手主体の行為で「自分のほうが間違ってる」といってるようなもの。

だけどそれっておかしい。

「わたしの言ってることが理解できないならあっちいって」と言えばいいだけなのに。

自分を曲げる必要なんてない。

“わたし”という人間を、受け入れ認めて評価してくれる人の中で生きたほうがよっぽど楽しいはず。

そして、その環境を作り上げるのは自分自身だ。

 

わたしの世界の主人公はわたし、あなたの世界の主人公はあなた。

 

それを忘れないことが幸せになるためには必要だと思う。

 

そんなわけで、わたしは分かりにくいまま自分の言いたいように言ってくことにします!