#箱の中

しあわせになるために生きてます。とりあえず来年は海外に旅に出ます。

いい人よりだめな人だと思われたほうが生きやすい

わたしなりの“人生を生きやすくするコツ”の中のひとつに「いかに諦めてもらうか」というのがあります。

こいつはこういうやつだからしかたない、と受け入れ(諦め)てもらえれば期待されなくていいのでとても楽です。自分の周りをそういう人たちで固めると、だいぶ生きやすくなります。

なので一般的に人は自分のダメなところを隠そうとしますが、わたしは逆に自分の“ダメっぷり”をがんがんアピールするようにしています。初対面の人にはとくに。

なぜなら相手の中の“わたし”というイメージが固まってしまうと、そこから抜け出すのはとても難しくなってしまうからです。

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八方美人はしあわせになれない

世間体を気にする母親に育てられたせいか、今でもたまに誰かと会っているときなど、自分でも無意識のうちに「よく見られたい」「気に入られよう」とする自分がでてきてホントの自分より大きく見せようと少し背伸びしたり、自分を犠牲にして優しさを振りまいてしまったりします。

だけどそんなことをして人に好かれても、あとあと苦しくなってしまうんですよね。

昔のわたしは八方美人で、自分で作り出した自分のイメージに縛られ身動きが取れなくて、息が詰まりそうな日々を過ごしていました。

 

だからこそ、いまはあの頃の反省を活かして反対に「いかに諦めてもらうか」「いかにダメ人間だと思ってもらえるか」に力を注いでいます!

 

期待されていいことなんてない。

嫌われるのが怖いからと“いい人”ぶったり、自分に自信がないから人に優しくして、それでみんなに好かれたとしても結局、自分を好きになったり心の安らぎを得ることはできないのです。

それに、そういった自己犠牲的な優しさや自分の弱さを隠したしっかり(してるようにみえる)者のそばに集まってくるのは決して心の綺麗な優しい人たちではなく、その優しさを自分のためだけにただ利用しようとしてくるような優しさの欠片もない連中ばかりです。

 

彼らにとっては都合のいい人間でしかなく、自分の役に立つことだけが存在意義で、使えなくなったら捨てればいいくらいにしか思ってません。

負の連鎖で、自分をないがしろにしていると、周りにも自分を大切にしてくれない人がよってきてしまいます!

 

与える側ではなく与えられる側に

そうなるためには、なんでも「やります」「できます」「頑張ります」というのではなく、ただ「わたしはなんにもできませーん」といえばいいのです。

そうすると面白いことに、必死に頑張ってたときは誰も助けてくれなかったのに、投げ出した途端みんなが「しかたないなあ」といって助けてくれたり世話をやいてくれたりします。(なんのために頑張ってたんだ…?となる)

 

ダメダメな自分を受け入れようと決め「しっかりしないと」「優しくしないと」と思うのをやめたら、まわりに優しい人が増えた気がします。それに自分に甘くなったらなぜか自然と人に優しくできるようになりました。

優しくしないといけないと思うのをやめたほうが人に優しくできるなんて皮肉なもんですよね。

 

自分を甘やかしてたら世界が優しくなった

最近は「だいじょうぶ」って言わないようにしてる。そのかわり「もうだめだ」っていう。ほんとはもうちょっと頑張れると心の中では思っていても、むりだっていう。

 

そうやって気づいたら、少しだけ、この世界が生きやすくなっていた。